第1回「サッカーサークルについて」

 スポーツの本来の目的は集団で「楽しむ」ことであると思います。それが現代では教育的な意味を強め、本来の楽しさを失ってしまったように感じます。また、同時に勝利至上主義的な価値観をもって指導される方が多くなりました。そういった風潮の中で、よし原点に帰ろうと思い、みなさまにサッカーのお誘いをしてみました。忙しい中でのご参加は嬉しいかぎりです。

 さて、子どもにとっても、サッカーは「楽しむ」ことが重要だと思います。そしてサッカー自体を好きになること、これが最も重要だと思っています。「楽しい」と「好き」という感情は非常に近い所にあると思うのです。サッカーを楽しんでいる自分を好きになる、これが自信や自己肯定感に繋がるのではないでしょうか。

 大人達の多くは経験論で「子どもの時辛い思いをして育てば、大人になって幸せなんだ。」「いま厳しく教えれば、いい選手になれるはずだ。」と自分の生立ちと置き換えて、子どもの成長を願います。僕もそう思ってしまうことがあります。しかし、大人がそういった過剰期待をしたならば、サッカーは「楽しい」ものから「辛い」ものへと変容してしまいます。「いまがんばっておけば、将来は幸せだ。」ということは大人の考えで、子どもはそうは思わないでしょう。子どもにとっては、今日が、その瞬間が幸せでありたいのですよね。子どもは今日楽しくサッカーが出来れば、「よし!明日もがんばるぞ!」と思い、今日辛い思いをしたならば、「もう、やりたくない。」と考えるものではないかと思います。「もっとサッカーを上手になって私にいい顔をさせてよ。」という大人の願いや期待を子どもが少しでも感じたとき、スポーツの、サッカーの「楽しさ」は喪失すると思います。「うちの子を日本代表に・・・」とか、「もっともっと厳しくしてください。」本当にこういう期待や願いを話す人は多いですよ。悲しい事だと思います。現状の笑顔があればそれだけでいいのではないでしょうか。ふざけっこでも、楽しければいいと思うのです。

 さて、「楽しさ」というものはどういうものか、と僕なりに考えてみますと、子どもにとっての「楽しさ」とは、大人がイメージするストレス発散的なものとは異なると思います。子どもは一瞬の快楽よりも苦痛と感動を求めます。困難のあとの満足感が結果として「楽しい」のです。言いかえると「ぼく、できたよ!」という気持ちだと思います。そして、そういう経験を友達と共有し合えた時が一番楽しいと思うのです。友達と夢中になっている時間が最もいきいきしますよね。1人で試合に勝つよりも、11人での勝利に喜びがあります。乱暴なプレイで勝っても本当に嬉しくはないと思います。相手と喜びを共有出来ませんから。スコアが5対0の試合よりも、5対4の試合のほうが、敵チームとも喜び合える。「お互いに頑張ったよね」という共有のしかたです。これが「楽しさ」だと考えています。より多くの「楽しさ」が生まれる環境を構成できるように、試行錯誤して行っています。

 子どもが成長する過程で、また技術や判断力を向上させる過程で、最も大切なことは「自分で気付く」ということだと思います。自律する(autonomy)ことだと思います。少年チームの監督でよく見かける光景ですが、「シュート打て!!」「パスつなげよ!!!」と指示をだすことがあります。その声に萎縮した子どもは慌てて言われた通りにプレイしようとします。しかし、それがたとえ成功したとしても、それは本当ではないと思うのです。これは自律ではなく、他人の意志からの他律ではないでしょうか。僕は子ども達にこのような失敗をたくさんしてしまったと思っています。経験を踏まえて、子どもの自律にはある程度自由なルールの中で、反抗や失敗を経験することが必要だと思っています。大事なのは、選手自身が自発的にそうしようと判断することや、これはしてはいけないなと判断することだと思います。判断する動機が大事だと思います。監督に「おまえらくやしくないのか!」と怒られて、無理に「くやしいです!」と答えるのは真実でしょうか。本当にサッカーが好きで、好きで、絶対に負けたくないんだと自発的に思えればそれが真実だと思います。声にださないことでも、子ども達は多くを感じているのですよね。

 子ども達が自分達で自発的に、休み時間や、放課後の校庭、公園、空き地、家の前でサッカーをしてくれたなら、それが僕のゴールです。サッカーが大好きな僕です。「楽しさ」を伝える、それが僕の役割だと思っています。未熟な僕ですが、子ども達と同様に失敗を繰り返して成長していきたいと思っています。勝手な理念でこのサッカーをひらいていますが、どうぞお付き合いください。また、なにか思うことがあれば、気軽に話してくれれば本望です。
橋口陽二郎