
第2回「主体的に練習にはげむ子ども」と「客体的に練習をする子ども」
はじめのコラムでもありましたが、僕が子どもとサッカーをする時に大事だと考えていることは、「楽しむ」ということであります。これについて、「子どもが楽しいだけではいけないのではないか。」「もっと強く、上手になってほしい。」というニュアンスのコメントを多くいただくことがありましたので、今回は補足的にすすめようと思います。皆様方からのコメントが、もう1度思索するきっかけになったことを有り難く思います。
まず第1に僕は、サッカー(スポーツ)を「楽しむ」ことはそれだけで素晴らしいことだと考えています。とくに幼児期、学童期の子どもが「楽しかった!」という経験をすること、そういう経験で充実していたと思えることは、その子どもが人生を大人へとつないでいった時、非常に価値のあるものになると思います。真っ暗になるまでボールを蹴って遊んだ経験は僕の中に生きています。きっとお父様方には僕以上にこのような経験があるのではないでしょうか。
そして第2には、−これは「上手になってほしい」という願いを聞いて−、サッカーを楽しむということは上手になる近道であります。これ以上の近道はありません。楽しいから上手くなる。「好きこそものの上手なれ」とはよくいったものです。つまり、楽しくボールを蹴っていく延長で「もっと上手くなりたい」と思える時が来るのだと思います。こうなるとサッカーが大好きですから、主体的に練習にも取り組みます。練習に継続性もでてきますし、継続こそ(子どもの)力へと変わっていくわけであります。
反対にサッカーが楽しくない、好きではないとすると練習には価値が生まれません。大人の都合で導いていけば、もしかしたら『見せかけの前進』をしますが、精神的に大きな反動が返りますし、本当の意味での成長もありません。大人に怒られたくないから、褒められたいから、喜んでもらえるからという動機で練習に向かうということは、客体的に練習をしているということです。どんな子どもでも褒められたいという欲求はあるわけですが、それが動機の大部分であるとすると、本気でサッカーを好きではないから継続もしていきません。自主的に「上手くなりたい」と思えるまで、大人も一緒になって楽しみながら待つことが重要です。
恋愛をした時に、相手のことで頭がいっぱいになって、そこに向かって生活を送るということがありましたでしょう。ほぼ同じ気持ちで、子どもは「遊び」に恋愛しているのです。子どもにとっての遊びとは恋愛なのです。子ども達の恋愛の相手がサッカーであればいいなと思っているこの頃であります。
橋口陽二郎 2003/08/20
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