第5回「わずかな成長を見付けて」

 子どもの成長の「成長」とは、心の成長のことを指します。それでは、心の成長とは具体的にどのようなことであるのか、今回はそれを具体的に考えてみて、お話をさせていただきます。

 成長とは、以前と比べて、わずかでもプラスの変化があったこと、その積み重ねを子どもの成長というふうに考えていいと思うのです。

 残念なことに、一般的に多くの大人はこれが苦手でありまして、確実に表れた結果や、誰もが賞賛するような出来事、数値の伸び、目に見えるもの、形あるもの、自分が嬉しかったかどうか、それを成長だと思っているような気がします。これらは、子どものことを愛してない大人の行為です。簡単に例えるなら、他人の家の子を見る時、人はこういう基準で成長を判断していきます。

 サッカーで優勝したとか、ベストいくつに入ったとか、選抜に選ばれたとか、得点を何点入れたとか、水泳で何級になったとか、偏差値がいくつになったとか、そういうものは目に見える結果ものであって、本物の成長ではありません。成長が及ぼした結果なんです。

 重要なのは、結果ではなく過程。過程を知るには、平凡な日常がすべてで、平凡な日常の中での、わずかな成長を発見してあげることで、その子どもの心はさらに成長していきます。しかし、その成長を見付けてあげないと、見付けてくれるまでその子どもはもがき苦しみます。努力したことを否定されたら不安定になるのは当然で、反抗やマイナス面を表していきます。「僕に気付いて!」という表現は、幼い子であれば、泣く回数が増えたり、思春期の少年なら口数が減ったりします。それなのに、もがき苦しむ子どもは、大人にとっては理解不能で苦痛な存在ですから、ついつい抑圧をしてしまうのです。そうなると、親子関係は負のサイクルに迷い込み、脱出するのには何倍もの労力を費やすことになります。そうならない為にも、わずかな成長を見逃さぬことです。

 繰り返しになりますが、わずかな成長を見逃さないために最も大事なのが、「日常」です。日常でいかに、子どもの表情、会話、言葉、行動、集中力、しぐさ、姿勢、目つき、歩行、睡眠、食事の量、排泄、友人との関わりなどの変化に気付いてあげられるか、それが僕の考える【わずかな成長を見付けてあげること】です。天体観測者が新しい星を見付けた時のように、平凡な毎日の観察がすべてです。

 童話にでてきて暴れだすライオンは、足の裏に刺さるトゲを誰かに取り除いてもらえるまで暴れるのです。気付いてほしくてもがき苦しみ、不本意に誰かを傷付けてしまうこともあります。そのライオンの存在を厄介に思った人々や保安官は、麻酔銃か何かをライオンに向けます。一方で、そのライオンが本当は心の優しいライオンだと知っている1人の村人は、足の裏のトゲに気付き、取り除いてあげると、ライオンは安心して草原へと戻っていくのです。

 僕は、この村人のような目で、子ども達の成長を見つめていたいと思っています。



                                                  新年の抱負に代えて・・・
2008/1/2   橋口陽二郎